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カラヤン晩年のドヴォルザーク「交響曲第8番」 / Herbert von Karajan – Wiener Philharmoniker

CLASSIC

春はあけぼの、カラヤンは晩年

クラシック界の帝王、ことヘルベルト・フォン・カラヤン(1908ー1989)の作品は特に晩年のものが好きだ。

戦前〜戦後〜高度経済成長期からバブル崩壊まで、精力的に活動していた帝王カラヤン。特に戦後はベルリンフィルの首席(終身)に始まり、欧州楽界の頂点に君臨したカラヤン。もちろんその演奏はいつの時代も一定以上のクオリティでどの作品も素晴らしい。60年代のフィルハーモニア管と録音したベートーヴェン全集は初々しくもエネルギッシュな演奏で素晴らしいし、ベルリンフィルと数度に及ぶ全集録音(チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェン)は年を経るに連れ重厚壮大、になっていった。好き嫌いは別れるところだが、そのギットリさは個人的に嫌いではない。

ただ、やはり最後にベルリンフィルと袂を分つあたりの時期、ベルリンフィルと一定の距離を置いてウィーンフィルと邂逅していく80年代中盤〜が、私的には先ほど記載のギットリ演奏の脂身がほどよく抜けてとても良く感じるのだ。

あっさりでもコッテリでもない、天下一品風にいうと「こっさり」の時代、それがカラヤンの晩年だと思っている。中途半端、ということではない。80年代前半までの濃厚すぎるほどのレガートの嵐、クセの強い演奏から、(おそらくベルリンフィルとのいざこざも相まって)ほどよく脂(毒)の抜けた、若い頃の爽やかさというか軽やかさを取り戻した演奏はウィーンフィルという自由闊達な首席指揮者を持たないオケと相まって極上のハーモニーを紡いでいると思う。

録音技術の面からもこの頃にはCDというメディアが登場し(一説にはカラヤンの助言でCDの録音上限時間は80分=ベートヴェンの第九収録時間、となった説もあり)、オーケストラの録音にもデジタルが導入された。元々録音メディアに並々ならぬ執着(こだわり)を持っていたカラヤンの演奏にこのデジタル技術が合わないはずはない。カラヤンの80年代〜晩年の録音は、今でも一つの試金石といって良いレベルの音質にあると私は思う。

(ちなみにカラヤンのベートーヴェン全集であれば迷わずこれ↓演奏の素晴らしさ、音質の素晴らしさ、どれをとっても間違いない)↓

カラヤンのドヴォ8

さて、オーディオ機器メーカーのエソテリック社から定期的に発売されるクラシックのリマスターSACD、およびLPだが、24年5月はカラヤンのデッカ時代の名作、ドヴォルザークの交響曲8番がリプレスされるとのこと。

原盤は1961年、デッカ録音である。

もっとも波に乗っていた頃のカラヤンの演奏がリマスターでどのように調理されるのか。今から楽しみであるのだが・・・

とはいえやはり、カラヤンのドヴォ8であれば、私はあえてこちらの1985年録音を推したいと思う。

グラモフォン盤である。ジャケット右上にわざわざ「DIGITAL Recording」と記載してくれているあたり、発売当時の時代を感じさせる。

裏ジャケにはバーコード。これも時代である。

「何もわざわざデジタル録音しているものをアナログレコードで買う必要はないんじゃないか?」とお考えの人もいると思う。私も実際そう思っていた。デジタル録音なら、デジタル再生のCDでいいじゃないか、と。DDDのものをなんでDAAないしDDAしたものにコンバートして聴くのか?ということである。

ところがどっこい、カラヤンのグラモフォン・デジタル録音に関していえば、明らかにCDよりもアナログレコードの方が音が良いのだ。あくまで想像ではあるが、これはデジタル録音をCDにコンバートする際に音域制限がかかることで音場が圧縮されることが原因ではないかと思う。

録音自体はデジタルで録音しているので音域は非常に広く記録されているはずだ。ところがこれをCDにコンバートする際にどうしても容量の問題から帯域制限をかけなければならず、特に高域部分の圧縮→音場が狭まる、という現象がCDでは起こっているのではなかろうか?

その点LPではそもそも帯域制限という考え方はないに等しいので、デジタルで録音した精緻な音源を帯域制限することなくそのままビニールに転記できる。つまり当時、デジタル録音の恩恵を一番受けた音楽再生メディアはLPだったのではないか?というのが私の考えである。CDが誕生した、というのに・・・現代のデジタル事情とは異なり、当時は非常にアイロニカルな時代なんだな、とつくづく思ってしまうわけである。

こっさりのカラヤン

さて演奏の方であるが、これが思いの外軽やかである。元々この曲はスラブ・ボヘミアな雰囲気が漂う。その曲に自由闊達・ワルツの権化(言い過ぎ)のウィーンフィルの演奏がマッチしないはずがない。そこにアクの抜けた、いや余分なものを削ぎ落として純粋に音楽に向き合う帝王の晩年の指揮が相まって、この曲のもつ素朴さが丁寧に表されている。

カラヤンはこの録音以降、ライブ録音が増えていく。

来日時のチャイコフスキー「悲愴」(帝王最後の悲愴)、

ブラームス1番、

またムターとの共演によるチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲、

どれも素晴らしい演奏なのだが、ライブではどうしてもコッテリ寄りであったり、年齢からくるものか瑕疵のある録音が多い。

ただ、1985年前後からのセッション録音(洋楽でいうところのスタジオ録音)に関しては「こっさり」で素晴らしい作品がとても多いのだ。

モーツァルトの「交響曲29番・39番」、

自身3度目の録音となるモーツァルト「レクイエム」

など、新境地のカラヤンを楽しむことができる。

そして白眉はラスト・ブルックナー。

この世の美しいものを全て集めたと言わんばかりの帝王最後の録音である。

みなさまにも是非とも「こっさり」カラヤンを楽しんでもらえれば幸い。

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