新しい年が幕を開け、松の内の賑わいが少しずつ落ち着きを見せ始める一月初旬。窓から差し込む冬の朝光は鋭く、しかしどこか透明な静寂を孕んでいる。こうした季節の変わり目には、耳の奥まで浄化してくれるような、研ぎ澄まされた音階が恋しくなるものだ。
本日取り上げるのは、ジャズ史に燦然と輝く名盤、ビル・エヴァンスとジム・ホールによる『Undercurrent』。それも、昨年2025年12月にエソテリック社から満を持して発売されたHybrid SACD盤である。かつて私はこのアルバムに対し、両者の個性が衝突するあまりの「馴染まなさ」を指摘したことがあった。しかし、この最新のリマスター盤を聴き終えた今、その評価は根底から覆されようとしている。
1. 1962年、二つの内省的知性が邂逅した瞬間
このアルバムの成り立ちを紐解くには、1960年代初頭のモダン・ジャズ界の空気感に触れる必要がある。1962年、ビル・エヴァンスは最愛のベーシスト、スコット・ラファロを不慮の事故で亡くし、深い喪失感の中にいた。一方でジム・ホールは、チコ・ハミルトンやソニー・ロリンズとの共演を経て、ギターという楽器に「知的な会話」の可能性を見出しつつあった。
二人の出会いは、ユナイテッド・アーティスツ(United Artists)レーベルのプロデューサー、アラン・ダグラスによるセットアップで実現した。録音は1962年4月24日と5月14日、ニューヨークのサウンド・メイカーズ・スタジオで行われている。
パーソネルと収録曲
Personnel:
- Bill Evans (Piano)
- Jim Hall (Guitar)
Track List:
- My Funny Valentine
- I Hear a Rhapsody
- Dream Gypsy
- Romain
- Skating in Central Park
- Darn That Dream
- Stairway To The Stars
- I’m Getting Sentimental Over You
- My Dunny Valentine (Alternate take)
- Romain (Alternate take)
発売当時、このアルバムはドラムもベースも排した「ピアノとギターのみのデュオ」という極めてミニマリズムな構成で世に問われた。ビル・エヴァンスにとっては、ラファロ亡き後の自己模索の過程であり、ジム・ホールにとっては、ピアノという巨大な和声楽器に対峙する挑戦であったといえる。
「水面下」に潜む二人の対話
アルバムタイトルの『Undercurrent(暗流)』、そしてトニ・フリッセルによる有名なジャケット写真(水中に漂う女性の姿)が象徴するように、この作品には表面的なスイング感を超えた、人間の心理の深奥に沈み込んでいくような趣がある。しかし、これまでの再発盤やアナログ盤において、私はある種の「もどかしさ」を感じ続けてきた。
以前のレビュー(https://www.raykohdoh.com/bill-evans-jim-hallundercurrent/)で述べた通り、そこには「寄り添い」よりも「対峙」の色彩が強く、音が混じり合わずに分離しているがゆえの居心地の悪さがあったのだ。ピアノの打鍵音とギターのアタック音が別々の空間で鳴っているような、その「馴染まなさ」こそがこのアルバムの本質だと思い込んでいた節さえある。
2. エソテリック盤がもたらした「音の分離」という名の統合
2025年12月、エソテリックからリリースされた名盤復刻シリーズ。このSACDをプレイヤーに乗せ、スピーカーの前に座り直した瞬間、私の認識は鮮やかに裏切られた。
これまで聴いてきた日本盤のアナログや、数々の再発CDとは、根本的に立っている土俵が違う。エソテリックによるマスタリングは、単に「音を綺麗にする」という次元を超え、当時のスタジオに漂っていた「空気そのもの」を現代に召喚している。

クリアネスがもたらす驚愕の描写
まず驚かされるのは、圧倒的な音の分離感だ。これは決してバラバラに聞こえるという意味ではない。それぞれの楽器が持つ本来の周波数帯域が整理され、互いにマスキング(覆い隠し)し合わなくなった結果、個々の音がこれまでになく「新鮮」に響くのだ。
- ギターの細部: ジム・ホールの使用するフルアコースティック・ギター(ギブソンES-175?)の箱鳴りが、手に取るようにわかる。ピックが弦に触れる瞬間の微かなノイズ、フィンガリングの際の弦のこすれ。特に、彼がエヴァンスのソロに対して施すバッキングの細やかな音色変化が、霧が晴れたかのように明瞭になった。
- ピアノの解像度: ビル・エヴァンスの打鍵は、これまで以上にクリスタルのような透明度を増している。低音域の重厚さと高音域の倍音が濁りなく重なり合い、彼のコードワークがいかに緻密であったかが、物理的な音圧として伝わってくる。
楽曲の奥深さが鮮明になる「解像度の向上」
クリアネスの向上は、そのまま「楽曲の解像度」に直結する。かつて「この曲は少し地味だな」と感じていた中盤のトラックも、音源が良くなることで、演奏者が込めた微細な強弱(ダイナミクス)や、沈黙の使い方の妙がはっきりと理解できるようになった。
エヴァンスとホールが、お互いの音をどれほど深く聴き合っていたか。一方が動けば、もう一方が引く。その微時的な空間の譲り合いが、エソテリック盤では「目に見える」かのように再現される。かつての私が感じた「馴染まなさ」は、実は音情報の不足による「解像度不足」からくる違和感に過ぎなかったのではないか、とさえ思い始めている。
推し曲:『My Funny Valentine』——スリリングな対話の真実
本作の聞き所を一つ選ぶなら、やはり冒頭の『My Funny Valentine』を外すわけにはいかない。多くの評論家が「この一曲だけで歴史に残る」と評してきた名演だが、今回のリマスター盤を聴いて、私はようやくその言葉の真意を芯から理解することができた。
表現の豊かさとスリリングな疾走感
この曲の冒頭、エヴァンスのストイックなリフから始まり、ジム・ホールがテーマを奏でる。特筆すべきは、中盤のアップテンポに転じるセクションだ。
これまでの音源では、テンポが上がるにつれてピアノとギターの音が混濁し、どこかバタついた印象を受けることがあった。しかしエソテリック盤では、エヴァンスの左手が刻む強烈なリズムと、ホールの鋭いピッキングが完璧なセパレーションを保ったまま耳に飛び込んでくる。
ギターのバッキングは、時にパーカッシブであり、時にオーケストラのような広がりを見せる。エヴァンスのソロは、その自由な空間を縫うように、大胆なスケールを描き出す。この二人が繰り広げるインタープレイは、決して「調和」という生易しい言葉で片付けられるものではない。それは、鋭利な刃物を持った二人の剣士が、互いの間合いを図りながら美しく舞っているような、極限の緊張感(スリリングさ)に満ちている。
デュオ演奏において、ここまで表現が豊かであり、かつ攻撃的でさえある演奏が他にあるだろうか。クリアな音像で聴くこの曲は、もはや「心地よいジャズ」ではなく、人間の魂がぶつかり合う「ドキュメンタリー」の様相を呈している。
結びに代えて:2026年、真の『Undercurrent』を聴く
かつて私は、このアルバムに対してどこか冷めた視線を送っていた。その内省的すぎるトーン、どこか噛み合わないような二人の距離感に、どうにも馴染まない違和感を感じていた。全体的に「暗い」雰囲気しかない、いわば自分なりの音楽的な解釈を押し付けていたのかもしれない。
しかし、2025年12月に届けられたこのエソテリック盤SACDは、そうした私の蒙を啓いてくれた。最新のテクノロジーによって磨き上げられた音は、60年以上前のニューヨークのスタジオで、二人の天才が確かに「馴染んで」いたことを証明している。それは表面的な同化ではなく、互いの個性を最大限に尊重し合った結果としての「高次元の統合」であったのだ。
2026年、新しい年の始まりにふさわしい、瑞々しくも深い音楽体験。もしあなたが、かつての私のようにこのアルバムに「馴染まなさ」を感じていたとしたら、ぜひこの最新盤を手に取ってみてほしい。そこには、これまで隠されていた「水面下」の真実が、鮮明な音像とともに広がっているはずだ。
なお、エソテリック盤は販売店が限られている。購入するならディスクユニオンなどの専門店などを探していただきたい。
参考文献・情報源
- ESOTERIC 公式サイト:『Undercurrent』名盤復刻シリーズ製品紹介(2025年12月参照)
- 『ビル・エヴァンス:魂のピアノ』ローレンス・トンプソン著
- Blue Note / United Artists 録音アーカイブ:1962年セッションログ
- 自社ブログ記事:Bill Evans & Jim Hall / Undercurrent レビュー(旧稿)
| 項目 | 旧盤(日本盤アナログ/CD) | エソテリックSACD(2025年12月) |
| 音の分離感 | ピアノとギターが混ざり合う | 各楽器が独立し、位置関係が明確 |
| ギターの音色 | ややこもった、丸い音 | フルアコの箱鳴り、ピッキングが鮮明 |
| ピアノの質感 | 高域の伸びが限定的 | クリスタルのような透明度と倍音 |
| 全体の印象 | 内省的で少し暗い | スリリングで解像度の高い芸術 |
| 空気感 | スタジオの響きが希薄 | 演奏者の息遣い、空間の静寂まで再現 |



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