福居良『シーナリィ(Scenery)』レコードレビュー:再発に次ぐ再発、色褪せぬ音像の深淵

Disk Review
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七月上旬、蝉の声が降り注ぐような猛暑の昼下がり。梅雨明けは宣言されていないが、真夏の暑さが続く都内。こんな日は、冷房の効いた部屋で、ひんやりとしたグラスを片手に、じっくりと音楽に浸るに限る。

さて私がターンテーブルに乗せたのは、そんな夏の暑さをも忘れさせる、あるいは夏のけだるさすらも音楽へと昇華させる一枚の盤だ。福居良が1976年に発表した不朽の傑作、『シーナリィ(Scenery)』

再発に次ぐ再発を重ね、今や世界中のジャズ愛好家がその音像に魅了され続けているこのアルバムの、深い魅力と音の秘密を、私の所有する再発盤(SOLID-1023、2017年 Nadja / HMV Project Re: VINYL)を通して探っていこう。

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アルバム概要:札幌から世界へ、静かに響き渡る魂の調べ

福居良の『シーナリィ(Scenery)』は、日本のジャズ史において、そして近年では世界のジャズシーンにおいても、極めて特異な位置を占める作品である。1976年、当時札幌を拠点に活動していたピアニスト、福居良が、日本の名門ジャズレーベルであるトリオレコード(Trio Records)からリリースしたリーダー作だ。トリオレコードは、その卓越した録音技術と、才能ある日本人ジャズミュージシャンを世に送り出してきた功績で知られるレーベルであり、『シーナリィ(Scenery)』もまた、その哲学を体現する一枚として、当時から高い評価を得ていた。

しかし、このアルバムが真にその価値を再認識されるのは、発表から数十年が経過し、インターネットの普及によって世界中の音楽愛好家が日本のジャズに目を向け始めた2000年代以降のことである。特にYouTubeなどの動画共有サイトで、彼の演奏動画やアルバムの音源が拡散されたことをきっかけに、その叙情的でメランコリックなピアノスタイルが、国境を越えて多くのリスナーの心を掴んだ。結果として、オリジナル盤は高騰し、幾度となくリイシューされ、今や「ジャズの隠れた名盤」として揺るぎない地位を確立している。

これまでに確認されている主な再発は以下の通りだ。

  • 2005年
  • 2009年
  • 2011年
  • 2017年 (Nadja / HMV Project Re: VINYL, SOLID-1023)
  • 2018年
  • 2019年
  • 2020年
  • 2021年
  • 2022年
  • 2023年
  • 2024年

このように、2000年代半ばから現在に至るまで、様々なレーベルから継続的に再発が行われており、その都度、新たなリスナー層を獲得し続けている

このアルバムは、福居良のピアノを中心に、ベースに伝法哲(Satoshi Denpo)、ドラムスに福居芳則(Yoshinori Fukui)という、彼を支える手堅いリズムセクションが加わったピアノトリオ編成で録音された。全6曲中、4曲がオリジナル、2曲がスタンダードという構成である。彼の音楽は、ハービー・ハンコックやビル・エヴァンスといった巨匠たちの影響を感じさせつつも、彼自身の深い内省と、北海道の広大な自然を思わせるような叙情性が融合した、唯一無二の世界観を築いている。

Personnel:

  • Ryo Fukui – Piano
  • Satoshi Denpo – Bass
  • Yoshinori Fukui – Drums

Tracklist:

  1. It Could Happen To You
  2. I Waited For You
  3. Early Summer
  4. Willow Weep For Me
  5. Autumn Leaves
  6. Scenery

『シーナリィ(Scenery)』の音像とテーマ性:再発に次ぐ再発が示す、色褪せぬ魅力の深淵

それでは私の手持ち盤を見てみよう。

私の手元にあるのは、Nadja / HMV Project Re: VINYLから2017年にリリースされた再発盤(SOLID-1023)だ。オリジナル盤の入手が困難な状況においては再発盤は手軽な価格でその作品をアナログ音源で楽しめるありがたい存在だ。

裏ジャケとレーベル面はこんな感じ。カラーヴァイナルでの再発も多いのだが、個人的にカラーは好きではない。盤面の傷が判断しやすいこの黒い円盤のほうが好みだ。
ちなみに裏ジャケの演者の写真を見ると時代を感じる。1970年代、こんな感じだったんだな。

さて、針を落とすとまず感じられるのは、その空間の広がりと、楽器一つ一つの生々しい存在感である。トリオレコードの録音は、しばしば「空気感」と評されるが、まさにその言葉通りの、演奏者たちが目の前にいるかのような臨場感がそこにはある。再発盤であっても、その音源の持つポテンシャルが損なわれることなく、現代のリスニング環境においても十分にその魅力を発揮していることに感銘を受ける。

福居良のピアノは、一音一音が非常にクリアでありながら、同時に深い響きと温かみを持っている。彼のタッチは、時に力強く、時に繊細で、その間のグラデーションが驚くほど豊かだ。特に中音域の響きは特筆すべきで、メロディラインが歌い上げるように耳に届く。高音域は煌びやかでありながら耳に刺さることなく、低音域はどっしりと安定し、曲全体に深みを与えている。彼のピアノからは、深い情感が溢れ出し、聴く者の心に静かに染み渡る。それは、彼の人生経験や、音楽への真摯な姿勢がそのまま音になったかのようだ。

伝法哲のベースは、グルーヴをしっかりと支えつつも、単なる伴奏に終わらない存在感を放っている。彼のベースラインは、時にメロディックに、時にリズミカルに、福居のピアノと見事な対話を繰り広げる。特に、低音の輪郭が非常に明瞭で、弦を弾く指の動きまでが目に浮かぶようだ。トリオレコードの録音技術が、ベースの豊かな響きを余すところなく捉えていることがよく分かる。再発盤においても、このベースの存在感は健在であり、楽曲に安定感と深みを与えている。

そして、福居芳則のドラムスは、派手さはないものの、楽曲全体に絶妙な推進力と色彩を与えている。シンバルの響きは繊細で、ブラシワークは優雅であり、スネアやタムの音も非常にクリアだ。特に、ピアノとベースの間に生まれる「間」を、彼のドラムスがどのように埋め、あるいは引き立てているかに注目すると、このトリオのアンサンブルがいかに高度なレベルで成立しているかが理解できるだろう。再発盤であっても、その繊細なドラムワークはしっかりと伝わり、楽曲に奥行きを与えている。

再発に次ぐ再発を繰り返すだけあって、本作には時代や流行に左右されない普遍的な美しさがある。福居良の音楽は、決して派手ではない。しかし、その内側には、聴く者の心を揺さぶるような、静かで力強い情熱が宿っている。それは、都会の喧騒から離れた場所で、ひたすらに自己と向き合い、音楽を追求し続けた彼の生き様が反映されているかのようだ。彼のピアノは、喜びや悲しみ、希望や諦めといった、人間の複雑な感情を、飾り気のないストレートな表現で描き出す。聴くたびに新たな発見があり、その度に彼の音楽の深淵に引き込まれていく。

このアルバムの聞き所として、まず挙げたいのはA面3曲目に収録されている「Early Summer」である。この曲は、アルバムのタイトルにも通じるような、清々しくもどこか物憂げな夏の情景を描き出している。福居のピアノは、まるで木漏れ日のように優しく、しかし確かな存在感を持って、メロディを紡いでいく。特に、曲の中盤で訪れるベースソロは、伝法哲の叙情的なプレイが光る瞬間であり、ピアノとの掛け合いも聴きどころだ。この曲を聴くと、夏の始まりの、あの独特の空気感が鮮やかに蘇る。

もう一曲、特筆すべきは「Autumn Leaves」だ。福居のピアノは、より一層内省的で、叙情的なメロディが心に深く染み渡る。彼の演奏からは、まるで語りかけるような温かさが感じられ、聴く者を安らかな瞑想へと誘う。この曲は、彼のメランコリックな側面が最も美しく表現されている一曲であり、アルバムのテーマ性を象徴するような存在だと言えるだろう。深いリバーブがかけられたピアノの音は、まるで遠い記憶の彼方から聞こえてくるかのようで、聴く者の感情に静かに寄り添う。

まとめ:時代を超えて響き続ける、福居良の音の風景

福居良『シーナリィ(Scenery)』は、彼の魂の奥底から紡ぎ出した、普遍的な美しさを宿した音の風景画であるように感じる。シンプルなトリオ構成、美しいピアノメロディ、時に荒々しく、時に柔らかにリズムを刻むベース&ドラム。北海道出身の彼の原風景、みたいに書くのは違うと思う。彼にあったことのない私が音から思い浮かべて見えるのは、日本人ならだれでも思い浮かべるような、メランコリックな夏の田舎の風景であったり、豪雪に耐え忍ぶ雪景色であったり、そういった日本人ならではの郷愁につつまれたセピアの世界だ。

再発に次ぐ再発を重ねてきたその事実は、このアルバムが持つ時代を超えた価値と、多くの人々に愛され続ける理由を明確に示している。オリジナル盤の稀少性から、多くのリスナーがその存在を知りながらも手に取ることが難しかった時期を経て、再発盤によって、福居良の音楽はより広い層へと届くこととなった。もしあなたがまだこのアルバムを聴いたことがないのなら、ぜひ一度、その音像に触れてみてほしい。きっと、あなたの心に深く刻まれる、忘れられない「風景」が広がるはずだ。

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