巷に溢れるビル・エヴァンスのCD。最新のリマスター盤や紙ジャケ復刻盤など、その種類は数えきれないほどである。しかし、本当にエヴァンスの音を深く味わいたいのであれば、旧規格CDという選択肢を忘れてはならない。今回は、知る人ぞ知る名盤『Easy to Love』を例に取り、旧規格CDに秘められた真の魅力を探っていく。
なお、本作品はアナログ盤でも当然リリースされているので、本来はアナログ盤の方を取り上げるほうが本ブログ趣旨にはあっている。それは知りつつも、コンピ盤であれば音質面はむしろLPよりも旧規格CDのほうが興味深いという個人的な嗜好から今回の記事となっている。
時代が宿す音のリアリティ
旧規格CDがもたらす最大の魅力は、その音に時代が宿っていることだ。リマスター技術がまだ未熟だった1980年代後半から90年代初頭にかけて製造されたこれらのCDは、現代のリマスター盤のような派手な音作りをしていない。つまり、録音された当時の空気をそのままパッケージしているのである。
『Easy to Love』の旧規格盤を聴くと、一聴してその違いに気づくだろう。音像は現代盤よりも奥に引っ込んで聞こえるかもしれないが、そこにいるのは紛れもなく等身大のエヴァンスその人である。ピアノの弦が振動する微細な響き、ペダルを踏む際の微かな軋み、そして彼の息遣いまでが、まるでそこに存在するかのように鮮明に伝わってくる。

『Easy to Love』の背景:孤高のピアニスト、その内面を映すソロ・ピアノ
『Easy to Love』は、彼のキャリアにおける様々な時期に録音されたソロ・ピアノ音源を集めたコンピレーション・アルバムである。この時期のエヴァンスは、すでにジャズ界の巨匠としての地位を確立していたが、そのキャリアは決して順風満帆ではなかった。盟友スコット・ラファロの死、麻薬との闘い、そして最愛の弟ハリーの自殺という深い悲劇を経験し、彼の音楽はさらに内省的で、瞑想的なものへと深化していた。
本作は、そうしたエヴァンスの成熟した内面が、トリオという制約から解き放たれ、純粋なピアノ・サウンドとして昇華された貴重な記録である。旧規格CDを手にすると、彼の指が鍵盤に触れる感触、そして音の消え入る瞬間までが、生々しいまでに伝わってくる。それは、まるでエヴァンスが部屋の隅で誰にも聞かれることなく、自分自身と向き合っている姿を覗き見ているかのような、親密な体験である。
このアルバムは、録音から3年後の1980年に発表された(CDは92年発売)。そして奇しくも、この年はエヴァンスがこの世を去った年と重なっている。彼の死後、世に出た作品なのである。この事実を知ると、内省的で静謐なピアノの音色が、まるで彼自身の人生を振り返っているかのように聴こえてくる。その演奏に宿る哀愁は、単なる美しさではなく、聴く者に彼の人生の終焉を静かに告げているようでもある。旧規格CDの純粋な音像は、そうしたエヴァンスの最後のメッセージをより深く感じさせてくれるのだ。
緻密な構成に隠された物語:曲順の妙
本作のもう一つの魅力は、その緻密に計算された曲順にある。旧規格CDのトラックリストは以下の通りだ。様々な時期の録音を巧みに並べることで、一枚のアルバムとして見事な物語が紡がれている。
- I Got It Bad (And That Ain’t Good)
- Waltz for Debby
- My Romance
- Peace Piece
- Lucky to Be Me
- Some Other Time
- Epilogue
- Danny Boy
- Like Someone in Love
- In Your Own Sweet Way
- Easy to Love
この曲順には、エヴァンスの意図が深く隠されている。アルバムは「I Got It Bad (And That Ain’t Good)」で幕を開け、ゆったりと美しいメロディーラインで聴き手を迎え入れる。続く「Waltz for Debby」は、彼の代表曲であり、親密で穏やかな演奏が続く。
ハイライトは、アルバムの中盤に置かれた「Peace Piece」だ。この瞑想的な即興曲は、エヴァンスの音楽的哲学を象徴する作品であり、内なる心の平安を求めているかのように聴こえる。その後に続く「Lucky to Be Me」や「Some Other Time」は、再びメロディックな世界へと誘う。
そして、最終曲に配されたのが、アルバムタイトルでもある「Easy to Love」だ。一般的にアルバムの冒頭に配置されそうなこの曲を最後に持ってくることで、エヴァンスは聴き手に深い余韻を残している。軽快でありながらも哀愁を帯びた演奏は、アルバム全体の内省的な旅を締めくくるにふさわしい。

以前、ビル・エヴァンス・トリオ編成の廃盤旧規格CDでの最高のライブとして「Half Moon Bay」を取り上げたが、それと対をなすピアノソロ廃盤旧規格と言ってもいいだろう。
マスターテープに最も近いサウンド
現代のリマスター盤は、一般的に音圧を上げ、各楽器の音を際立たせることで、聴きやすさを追求している。これはこれで一つの正解ではあるが、時に制作者の意図を超えた加工が施されることもある。
一方、旧規格CDは、CD化の黎明期ゆえに、マスターテープの音をそのままデジタルデータに落とし込んでいる場合が多い。過度なイコライジングやコンプレッションが施されていないため、エヴァンスの意図したピアノの音色、そしてトリオ全体のバランスが、驚くほど自然な形で再現されている。これは、音楽を愛する者にとって、何よりも尊い体験であると言えよう。
盤探しの旅そのものが醍醐味
旧規格CDは、現代の市場では簡単に見つかるものではない。レコード店や中古CDショップの棚を丹念に探し、時にはネットオークションを駆使して、ようやく探し当てることができる。しかし、その手間暇こそが、旧規格CDを所有することの醍醐味なのである。
苦労して手に入れた一枚は、単なる音楽メディアではなく、コレクターズアイテムとしての価値を持つ。さらに、そのCDに刻まれたレーベルのデザイン、ライナーノーツの日本語訳など、細部にまで当時の文化や熱意を感じ取ることができる。
ちなみに本作はディスクユニオンにて1100円で購入。なかなか見つからない割に値段はそこまで高くない。旧規格盤の見分け方がいまいちわからない、という人はディスクユニオンで買うのが手っ取り早い。値札に「旧規格」とはっきり記入してあるのでわかりやすい。
時を超えて響く、最後のメッセージ
ビル・エヴァンスの『Easy to Love』を深く愛する者ならば、ぜひ一度、旧規格CDを手にとって聴いてみてほしい。それは、単に過去の音源を聴くという行為ではなく、エヴァンスが奏でた時代の空気そのものを体験することである。最新盤のクリアで迫力ある音も良いが、旧規格盤の持つ真摯で飾らない音は、我々に音楽の奥深さを改めて教えてくれるのだ。
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