『Pet Sounds』USオリジナル・モノラル盤:Brian Wilsonの純粋な音響芸術

Disk Review
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梅雨の気配が色濃くなる今日この頃、皆様いかがお過ごしだろうか。

去る6月12日、The Beach Boysの音楽的支柱であり、稀代の天才Brian Wilsonが82歳でこの世を去った。彼の訃報に接し、改めてその偉大な功績に思いを馳せる人も多いのではないだろうか。

今回は、彼の純粋な音楽的ヴィジョンが最も鮮明に刻まれた一枚、奇しくも彼の生前最後の作品となるであろう、The Beach Boysの金字塔『Pet Sounds』USオリジナル盤モノラル・レコードの真髄に迫ってみたいと思う。

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I. 『Pet Sounds』の誕生とモノラルについて

1966年5月16日にリリースされたThe Beach Boysの『Pet Sounds』は、単なるアルバムではない。これは音楽史に深く刻まれる画期的な金字塔であり、その後の音楽制作に極めて多大な影響を及ぼした傑作として評価される。Brian Wilsonは、従来の作風から脱却し、より内省的かつ洗練された音楽性の確立を目指した[3]。彼はPhil Spectorが確立した「Wall of Sound」という技術に深く影響を受け、それをさらに発展させようと試みたのである。彼の「スタジオを楽器」と捉える考え方は、音楽制作における革新的なアプローチを示し、バラバラの楽曲ではなく、すべての音が意味を持つ、まとまりのある芸術作品の創造を追求した。

加えて、Brian Wilsonが幼少期から右耳に聴覚障害を抱えていたという事実が、アルバムが徹頭徹尾モノラルでミックスされた根源的な理由である。これは単なる技術的な選択に留まらず、彼が頭の中で構築した完璧な音像を、リスナーが再生環境に左右されることなく確実に体験できるようにするという、Brian Wilsonの深いこだわりを示唆するものであった。

この壮大な音楽的ヴィジョンを具現化するため、Brian Wilsonはハリウッドの一流ミュージシャン集団であるレッキング・クルーを起用した。彼らの卓越した演奏力は特筆すべきものであり、Brian Wilsonの複雑なアレンジメントを正確に音として表現した。Brian Wilsonは各ミュージシャンと綿密に連携し、詳細なパートの指示を直接行い、エンジニアたちの職人技が加わることで、多数のトラックに録音された豊かな音源は、最終的にたった一つのモノラル・マスターへと緻密に集約された。この、限られたトラック数を最大限に活用し、音を重ねてはまとめるマルチトラック・バウンスという手法は、モノラルでありながらも音の厚みとBrian Wilsonの意図する音像を具現化する上で不可欠であった。French horn、Electro-Theremin、Bass harmonica、Bicycle bell、Timpani、Strings ensembleなど、ロックバンドでは通常用いられない多様な楽器編成も、本アルバムの顕著な特徴である。モノラル・ミックスでは、多様な音色が左右に分離することなく中央に集約され、相互に融合することで、他に類を見ない豊かな音響空間が創出される。この特性により、『Pet Sounds』は「Chamber pop」や「Chapel rock」と評されるような、極めて緻密で統一されたサウンドを実現しているのだ。

II. USオリジナル・モノラル盤の聴覚体験と聞きどころ

前置きが長くなった。それでは私が所有しているモノラル盤を見ていこう。

『Pet Sounds』USオリジナル・モノラルLPの識別には、カタログ番号T 2458(Capitol Recordsよりリリース)が指標となる。後から登場した「DT 2458」や「ST 2458」といった疑似ステレオ盤とは明確に区別することが重要である。なぜならば、Brian Wilson自身が監修した真のステレオ・ミックスは、1996年のボックスセットがリリースされるまで存在しなかったという特筆すべき事実があるからだ。したがって、それ以前のヴィンテージ・ステレオ盤は「Duophonic」と称される擬似ステレオであり、Brian Wilsonの意図とは異なる再処理が施された音源であった。本物のモノラル盤を入手する際には、忠実度が低いイギリス製の「Mono」プレス盤(疑似ステレオ・マスターをモノラルに折り返したもの)は避けるべきである(とはいえそれはそれで音もいいので好きな方もいる)。US、Canada、India、Australiaのプレス盤が、一般的に信頼できる真のモノラル音源を提供するとされる。

レーベル面。レインボーキャピタルである。なお、この盤はレインボーキャピタルの初版である、と販売時の値札に記載があった。

ちなみに購入はコロナ禍中の2022年頃だったと思う。もともとUKモノラル盤は所有していたが、この世界遺産とも言うべき作品のオリジナルはどうしても状態の良いものを欲しい!と思いUSのこちらを購入した。ユニオン恒例の週末セールに並んで手に入れたものだ。価格は3万円位を予測していたが、豈図らんやちょいと高かった…が、こんな状態の良いものに巡り会えることも少なかろうと思い切って購入したのを覚えている。

さて、では肝心の音について。

モノラル・ミックスは、Brian Wilsonが目指した「Wall of Sound」効果が凝縮されている。ステレオのように楽器が左右に分離することなく、すべての音と声が密接に絡み合い、堅固なサウンドを形成しているのが特徴である。特に、旧来のアナログ録音に特有の「Tubey Magical Midrange」は、このサウンドの顕著な特性である。

Tubey Magical Midrange
真空管特有の暖かみ、厚み、滑らかさ、そして心地よい倍音成分によって、ボーカルや主要な楽器の中音域が非常に魅力的で、まるで魔法がかかったかのように生々しく、耳に優しく、心に響くように聴こえる音色を指す

これは、真空管アンプを通したような温かみと豊かな響き、そして音がしっかりとした存在感を伴うもので、現代のデジタル・リマスターでは再現が困難な独特の音響的特徴である。ヴォーカルは驚くほど明確にリスニングポイントの真ん中に中央に定位し、Carl WilsonやBrian Wilson、そしてメンバーたちのハーモニーが一体となって聴き手に迫る。ベースラインも際立ち、楽曲の堅固な土台を力強く支える。

一部のリスナーからは、音質の濁りや高音域の不足が指摘される場合もあるが、多くの純粋主義者やオーディオファイルにとっては、これこそが『Pet Sounds』の真の「60年代サウンド」であり、Brian Wilsonが追求した「Wall of Sound」効果に不可欠な特性と見なされる。ここに感じられるわずかな「圧縮感」は欠点ではなく、アルバム全体の迫力と一体感を最大化するための、Brian Wilsonによる計算された選択と解釈される。個々の音が独立して際立つのではなく、全体として強力でまとまりのある音響的インパクトを創出するために、絶妙な調整が施されているのである。

アルバムを聴き進めるにつれて、モノラル・ミックスが各楽曲の持つ本質をいかに際立たせているかが、明確に理解されるであろう。

以下、主要曲に沿って解説じみたものを。

  • アルバムのオープニングを飾る”Wouldn’t It Be Nice“は、モノラル・ミックスにおいて、聴いた瞬間の強烈なパンチ力と、複雑に重なり合う「ヴォーカル・ブレンド」が驚くほどの厚みとまとまりのあるパワーを生み出す。愛と希望に満ちた歌詞は、あたかも目の前で演奏されているかのような臨場感を伴って響き渡る。
  • アルバムの感情的な核であり、広く称賛される”God Only Knows“は、Carl Wilsonの繊細かつ表現豊かなリード・ヴォーカルが最高潮に輝いている。French horn、Strings、Accordion、そしてSleigh bellsといった型破りな楽器編成がモノラルで絶妙にブレンドされ、「豊かな天上の音の毛布」と称される響きを形成する。すべての音響要素が単一の緻密なフィールドに統合されることで、個々の楽器の分離よりも、結合されたハーモニーとアレンジメントがもたらす感情がダイレクトに心に届き、深い感動が呼び起こされる。
  • フォークのルーツを持つ”Sloop John B”は、モノラル再生において、Brian Wilsonが古典的なメロディにオーケストラのバックを加えるその天才的なアレンジメントが極めて明確に認識される[11]。この楽曲は、単なる民謡の翻案ではなく、モノラル・ミックスによってその「オーケストラの迫力」と複雑なアレンジが際立ち、アルバム全体の「壮大なサウンド」に多大な貢献を果たしている。
  • アルバムの感動的なエンディングを飾る”Caroline, No“は、内省的でメランコリックな雰囲気がモノラル・ミックスによって一層際立つ。特に、通り過ぎる電車の音やBrian Wilsonの飼い犬の鳴き声といった象徴的な「Found sounds」(環境音)が、モノラル・サウンドに驚くほど自然に溶け込んでおり、まるで映画のラストシーンを想起させるような、心に深く残る余韻をもたらす。これらの非音楽的な要素もまた、モノラルというフォーマットによって楽曲に有機的に統合され、アルバムの物語性に深みを与えている。

まとめ

Brian Wilsonがモノラルにこだわったのは、彼がリスナーに作品を完璧に体験してほしいという強い願望があったためである。彼の片耳聴覚障害、および再生環境に左右されない一貫した音像を保証したいという彼の願いは、モノラル・ミックスを彼の芸術的な「決定的なヴィジョン」として位置づける。もちろん、ステレオ・ミックスが提供する空間的な広がりも魅力的であり、異なる視点からアルバムの複雑さを楽しむことも可能である。しかし、多くの純粋主義者やオーディオファイルにとって、USオリジナル・モノラル盤こそが、Brian Wilsonの揺るぎない芸術的な心と、彼が創造した唯一無二の音のタペストリーに、最も直接的な手段であると断言できる。これこそが、真の『Pet Sounds』体験と言えるだろう。

余談だが、私は一度だけブライアン・ウィルソンのいるビーチ・ボーイズのライブを見たことがある。千葉マリンスタジアム(当時の名称はQVCマリンフィールド)で2012年8月16日(木)に行われたものだ 。ビーチ・ボーイズのバンド結成50周年を記念したワールドツアーの一環として行われたもので、ブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、ブルース・ジョンストン、デヴィッド・マークスというオリジナルに近いメンバーが揃った、非常に貴重な来日公演であった。かなりステージからは離れた席から見ていたが、ビジョンモニターに移されるブライアンはちょっと体調が悪そうな印象だったが、生でちゃんと「God Only Knows」を歌ってくれた。開演時間が早かったこともあってか、夕暮れ時に響き渡る「God Only Knows」の歌声は今でも忘れられない。

彼の音楽は、その計り知れない才能をもって数多くのアーティストに影響を与え、ポップミュージックの可能性を無限に広げた。我々は、彼の生み出した音楽に心から感謝し、この稀代の才能がいなくなってしまったことに深い寂しさを覚える。しかし、彼の音楽は永遠に生き続け、これからも世代を超えて愛され続けることであろう。

心より御冥福をお祈りしたい。ありがとうブライアン。

Personnel (主要メンバー)

  • The Beach Boys
    • Brian Wilson: Lead Vocals, Backing Vocals, Piano, Organ, Harpsichord, Bass, etc.
    • Carl Wilson: Lead Vocals, Backing Vocals, 12-string Guitar
    • Mike Love: Lead Vocals, Backing Vocals
    • Al Jardine: Backing Vocals
    • Dennis Wilson: Backing Vocals
    • Bruce Johnston: Backing Vocals
  • The Wrecking Crew (主要セッション・ミュージシャン)
  • Production & Engineering
    • Producer / Arranger: Brian Wilson
    • Lyricist: Tony Asher
    • Engineer: Chuck Britz
    • Engineer: Larry Levine
    • Engineer: Bruce Botnick

Track List

Side One

  1. Wouldn’t It Be Nice
  2. You Still Believe In Me
  3. That’s Not Me
  4. Don’t Talk (Put Your Head On My Shoulder)
  5. I’m Waiting For The Day
  6. Let’s Go Away For Awhile
  7. Sloop John B

Side Two

  1. God Only Knows
  2. I Know There’s An Answer
  3. Here Today
  4. I Just Wasn’t Made For These Times
  5. Pet Sounds
  6. Caroline, No

References

  1. ブライアン・ウィルソン – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3
  2. Pet Sounds – Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Pet_Sounds
  3. Music-versary: The Beach Boys released ‘Pet Sounds’ on May 16, 1966 | SiriusXM. https://www.siriusxm.com/blog/music-versary-the-beach-boys-released-pet-sounds-on-may-16-1966
  4. Wall of Sound – Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Wall_of_Sound
  5. Einstein on the Beach – Bookforum. https://www.bookforum.com/print/3001/the-genius-of-brian-wilson-and-the-beach-boys-25203
  6. The Beach Boys – Pet Sounds (Vinyl, US, 1966) For Sale | Discogs. https://www.discogs.com/sell/release/1354479
  7. The Beach Boys : Pet Sounds (Page 8 “50th Anniversary Edition – Box Set”/2016). https://benice.blog.fc2.com/blog-entry-1827.html
  8. Giles Martin “ZOOMs” In” to Introduce His Atmos “Pet Sounds” Mix at New York’s Dolby Screening Room | Tracking Angle. https://trackingangle.com/features/giles-martin-zooms-in-to-introduce-atmos-pet-sounds-mix-at-new-york-s-dolby-screening-room
  9. Wouldn’t It Be Nice – Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Wouldn%27t_It_Be_Nice
  10. God Only Knows – Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/God_Only_Knows
  11. Beach Boys fans are only just learning story of hit song ‘Sloop John B’ | Express.co.uk. https://www.express.co.uk/entertainment/music/2067779/beach-boys-fans-sloop-john-b
  12. Caroline, No – Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Caroline,_No

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