梅雨の気配が色濃くなり、窓の外は曇り空が続く。ジメッとした空気に包まれるこんな季節には、心に染み渡るような音楽を求めてしまうものだ。華やかさよりも、どこか翳りのある、そして確かな生命力を感じさせる歌声。まさに、そんな心持ちに寄り添ってくれるのが、ニーナ・シモンが1959年にリリースしたデビュー・アルバム『Little Girl Blue』だ。
実はこのアルバム、以前もちょっとだけ取り上げたことがある。今回は、この不朽のジャズ名盤を、USオリジナル盤モノラル・レコードと国内盤CDとで徹底的に聴き比べ、その聴感上の違いとそれぞれのフォーマットが持つ魅力を深く掘り下げるとともに、私が最終的にどちらを強く推すのか、その理由を明確にしたい。
音楽に魅せられた人間にとって、同じ作品を異なるフォーマットで聴き比べる行為は、まるで時間旅行のような体験だ。それは単なる音質の優劣を測るだけでなく、録音当時の空気感、エンジニアの意図、そして時代背景までもが音の粒子に宿っていることを再認識する機会となる。
ニーナ・シモン:唯一無二の音楽的遺産とその背景
まず、この聴き比べの前に、ニーナ・シモン (Nina Simone)というアーティストについて触れておこう。彼女の本名はユニス・キャスリーン・ウェイモン。1933年、ノースカロライナ州の小さな町で生まれた。幼い頃からクラシック・ピアノの才能に恵まれ、教会でゴスペルを歌いながら、バッハやベートーヴェンを学んだ。しかし、フィラデルフィアのカーティス音楽院への進学を夢見ていた彼女は、人種差別的な理由でその門を閉ざされ、生活のためにジャズ・クラブで歌い始めることになる。「ニーナ・シモン」という芸名は、クラブでの活動を家族に知られないようにするためにつけたものだ。
彼女の音楽は、ジャズ、ブルース、ゴスペル、ソウル、フォーク、クラシックといったジャンルを縦横無尽に行き来し、カテゴライズを拒む独自のスタイルを確立した。その歌声は、時に囁くように繊細で、時に魂を揺さぶるほど力強い。彼女は単なる歌手ではなく、ピアニスト、作曲家、そして公民権運動の活動家として、音楽を通じて社会にメッセージを送り続けた真のアーティストであった。
『Little Girl Blue』は、そんなニーナ・シモンの音楽キャリアの始まりを告げる記念碑的な作品である。デビュー作にして、すでに彼女の音楽的才能と個性が十全に発揮されており、その後の輝かしいキャリアの礎を築いた。
Personnel:
- Nina Simone – vocals, piano
- Jimmy Bond – bass
- Albert “Tootie” Heath – drums
Track List:
- Mood Indigo
- Don’t Smoke in Bed
- He Needs Me
- Little Girl Blue
- Love Me or Leave Me
- My Baby Just Cares for Me
- Good Bait
- Plain Gold Ring
- You’ve Got to Learn
- Central Park Blues
- I Loves You Porgy
『Little Girl Blue』:フォーマット比較の深淵へ – レコードとCDの聴感の違い
それでは私の所有するオリジナル盤を見ていこう。


ベツレヘムレーベルのロゴに若干の版ズレ(色味の重なりがズレていること)がおこっているファーストのジャケット。実は本作はオリジナルのステレオ盤も所有しているのだが、ステレオだとジャケット上部に大きくSTEREOが表記され、ジャケの雰囲気は一気に台無しになる。



レーベル面はこちら。盤質は若干SP盤のシェラックに近い。塩ビではないので柔軟性に欠ける印象だ。なんとなく割れそうで怖い。
USオリジナル盤モノラル・レコードの聴感:生々しさが息づくアナログの魅力
さて本題の聴き比べである。USオリジナル盤モノラル・レコードは、まさにタイムカプセルを開くような感覚だ。当時の録音環境とプレス技術が織りなす音が、目の前に広がる。一方、国内盤CDは、現代のデジタル技術によって、そのオリジナルマスターが持つ情報をある程度まで引き出そうと試みたものだ。
まず、USオリジナル盤モノラル・レコードをターンテーブルに乗せる。針を落とした瞬間に聞こえるのは、特有のヒスノイズ。これはまさにアナログの証であり、その後の音楽を聴く上での期待感を高める。そして、ニーナ・シモンのピアノの音が、そして歌声が、部屋いっぱいに広がる。
このオリジナル盤レコードの音は、驚くほど「素朴」だ。しかし、それは決して貧弱な音という意味ではない。むしろ、飾らない、純粋な音の塊がそこにある。モノラル録音であるため、音像は中央にしっかりと定位し、まるでニーナが部屋の真ん中でピアノを弾き、歌っているかのような「アナログ盤ならではのリアリティ」が際立っている。ピアノの木が持つ響き、ハンマーが弦を叩く微かなアタック、そしてペダルの踏み込みによるサスティンが、非常に生々しく伝わってくるのだ。
特に際立つのは、その「暖かさ」と「肉厚さ」である。ピアノの低音弦の響きは豊かで、ジミー・ボンドのベースは明確な輪郭を持ちながらも、適度な丸みを帯びている。アルバート・”トゥーティ”・ヒースのドラムは、シンバルの金属音が耳に刺さることなく、スネアのアタックも自然で、全体のグルーヴを土台から支えているのがわかる。
ニーナ・シモンの歌声は、まさに息づかいまでが伝わるかのような親密さがある。彼女の感情の起伏が、声の震えや微細な抑揚を通じて直接的に心に響いてくる。マイクからどれほどの距離で歌っていたのか、その場にいるかのような錯覚さえ覚えるほどだ。音の立ち上がりが非常に速く、かつ減衰が自然で、まるで演奏が行われたその瞬間の空気が閉じ込められているかのようである。これはデジタルではなかなか再現しにくい、アナログ盤特有の「有機的な音」とでも言うべきだろう。この「有機的な音」こそが、このアルバムの持つ根源的な魅力を引き出す鍵であり、私にとってのオリジナル盤レコードの最大の美点である。
良い点:
- 圧倒的なリアリティと臨場感: ニーナ・シモンが目の前で演奏しているかのような錯覚に陥るほどの生々しさ。特にその歌声は、まるで彼女がそこにいるかのような感覚を呼び起こす。
- 素朴で暖かみのある音質: 余計な装飾がなく、音源本来の魅力を引き出す。特にピアノの響きとボーカルの質感が絶品で、聴く者の心を強く揺さぶる。
- 自然な音の響きと減衰: アナログ盤ならではの空気感や、音が消えていくまでの余韻が美しい。音の粒子が滑らかに繋がり、耳に心地よい。
- 歴史的価値と所有欲を満たす満足感: 50年代の録音がそのままの形で聴けるという体験自体が貴重であり、オリジナル盤を所有する喜びも大きい。
悪い点:
- サーフェスノイズの存在: 盤の状態によっては、スクラッチノイズやチリノイズが気になる場合がある。これらは確かに音源の一部とはなるが、音楽鑑賞の妨げとなることもある。
- 解像度の限界: 最新のデジタル音源と比較すると、微細な情報量では劣る場面もある。これはアナログの特性上、避けられない点だ。
- 盤質の維持管理の難しさ: 温度や湿度、再生環境に気を遣う必要がある。デリケートな扱いが求められるため、手軽さには欠ける。
国内盤CDの聴感:クリアネスと利便性の現代的な魅力
次に、国内盤CDを再生する。今回使用するのは国内盤の初期CDだ。


一聴して感じるのは、その「静寂性」と「クリアネス」だ。バックグラウンドノイズは皆無に等しく、音源そのものが持つ情報だけが、鮮明に浮かび上がる。これは、オリジナルマスターテープからデジタル化された恩恵であり、現代のリスニング環境には適している。
CDでは、音の「解像度」が格段に向上しているのがわかる。特にニーナのピアノの各音、タッチの強弱、サスティンペダルの微妙な操作、そして弦の振動が、より明確に、より細かく聴き取れる。ベースのピッキングのニュアンス、ドラムのブラシワークの質感など、オリジナル盤レコードではやや埋もれがちだった細部の情報が、くっきりと分離して聴こえてくる。
音場は、モノラルであるため中央に定位する点はレコードと同じだが、情報量の多さゆえに、音の奥行きや定位の正確さが際立つ。ニーナ・シモンの歌声は、レコードの肉厚さとはまた異なる、透き通るような透明感と、より鮮明な輪郭を持っている。微細なビブラートやブレスが鮮やかに描き出され、感情の機微がより一層深く伝わってくる。ダイナミックレンジも広く、静かなパッセージから力強い歌い上げまで、表情豊かな表現が楽しめる。
この国内盤CDは、オリジナルマスターテープの情報をデジタルデータとして取り込み、現代のフォーマットとしてニーナの音楽を堪能できる。レコードが持つ「有機的な暖かさ」とは異なるが、現代のHi-Fiオーディオシステムで再生するには、このクリアさと高解像度は非常に魅力的だ。
良い点:
- 優れた静寂性: ノイズが皆無で、音楽そのものに集中できる。これは、レコードのサーフェスノイズが気になるリスナーにとっては大きな利点となる。
- 圧倒的な高解像度とクリアネス: 微細な音の情報まで鮮明に再現され、演奏のディテールが明確に聴き取れる。分析的なリスニングに適している。
- 広大なダイナミックレンジ: 音の大小の差が豊かに表現され、楽曲の表情が際立つ。音の強弱がよりドラマチックに伝わる。
- 利便性と再生の安定性: 盤質を気にすることなく、手軽に高音質を楽しめる。傷やホコリに強く、持ち運びにも便利だ。
悪い点:
- 「アナログの匂い」の欠如: レコードが持つ特有の空気感や、わずかなヒスノイズがもたらす歴史的な暖かさは希薄だ。音が「整理されすぎている」と感じることもある。
- 時に「クリーン」すぎると感じる場合も: 生々しさや土臭さといった、アナログ的な質感とは異なる音作り。情報量が多いゆえに、かえって感情移入しにくいと感じるリスナーもいるかもしれない。
イチオシ曲「Little Girl Blue」:オリジナル盤レコードが際立たせる真の魅力
このアルバムのタイトル曲でもある「Little Girl Blue」は、まさにニーナ・シモンの真髄を味わえる珠玉の一曲だ。元々はロジャース&ハートによるミュージカルナンバーだが、ニーナの手にかかると、その歌声とピアノが一体となり、心に深く染み入るブルースへと変貌する。彼女の歌声の持つ憂いや諦め、そしてそれでもなお希望を探そうとする人間の感情の機微が、この曲には凝縮されている。
USオリジナル盤モノラル・レコードでこの曲を聴くと、その「素朴な音質とアナログ盤ならではのリアリティ」が最も顕著に表れる。冒頭のピアノソロから、音の粒立ちが非常に自然で、低音の響きには深く芯のある暖かさがある。そして、ニーナ・シモンの歌声が加わると、まるで彼女が隣で語りかけているかのような、生々しい距離感が生まれる。彼女の息づかい、声の震え、そして感情が凝縮された一音一音が、肌で感じられるかのような生々しさで迫ってくるのだ。特に「What will become of me?」と歌い上げる箇所の切迫感は、レコードの持つざらつきのある質感が、感情のひだをより深くえぐり出すように響く。まるで、その時代の空気ごと切り取られ、レコード盤に封じ込められたような感覚に陥る。この曲におけるニーナの表現力は、オリジナル盤レコードのサウンドによって一層引き出され、聴く者の心を強く掴んで離さない。
一方、国内盤CDで「Little Girl Blue」を聴くと、その解像度の高さと静寂性が、この曲の持つ繊細な美しさを際立たせる。ピアノの音の立ち上がりと減衰がより正確に、そして微細なニュアンスまで拾い上げられ、音の広がりと奥行きが深く感じられる。ニーナ・シモンの歌声は、レコードが持つ肉厚な暖かさとは異なるが、その透明感と明瞭度が、彼女のブレスや声の震えをより細やかに伝えてくれる。感情の抑揚が、よりクリアな音像として目の前に提示されるため、歌声の表現力が一層際立つのだ。例えば、ピアノの低音弦の響きがより深遠に、ボーカルの微細なエコーがより鮮明に聴き取れるなど、現代の技術が引き出すことのできる極上のサウンドがここにはある。レコードでは一体として聴こえた音が、CDではそれぞれが独立した存在感を持ちながらも、全体として調和している様がわかる。しかし、オリジナル盤レコードが持つ圧倒的な肉体的存在感や、音の「重み」のようなものは、CDではわずかに薄れてしまう印象も否めない。
結論:ニーナ・シモンの真髄を味わうなら、迷うことなくオリジナル盤モノラル・レコードを推す!
USオリジナル盤モノラル・レコードと国内盤CD、この二つのフォーマットの聴き比べを通して、私は改めてニーナ・シモンの『Little Girl Blue』というアルバムの奥深さと、音源フォーマットがもたらす体験の多様性を実感した。どちらが優れているかという問いに対し、私は迷うことなくUSオリジナル盤モノラル・レコードを強く推したい。
その理由は、このアルバムが持つ根源的な魅力、すなわちニーナ・シモンの音楽が持つ「生々しさ」と「魂の叫び」を、最も純粋な形で伝えてくれるのがオリジナル盤レコードだからである。あなたが「タイムマシン」に乗って、1959年の録音スタジオの空気を肌で感じたいと願うのであれば、このオリジナル盤モノラル・レコードは最高の選択となるだろう。盤が刻むヒスノイズすらも、その時代の雰囲気の一部として受け入れられる、本物のオーディオファイルにとって、この素朴で肉厚な音は、何物にも代えがたい「音楽体験」となる。ニーナ・シモンの息づかい、ピアノの木の温もり、そして演奏者たちの熱気が、物理的な存在感を持って目の前に立ち現れる。それは単に音楽を聴くという行為を超え、歴史の一部に触れるような、五感を刺激する体験だ。特に、彼女の歌声の持つ人間的な揺らぎや、感情の機微を肌で感じたいと強く願うなら、オリジナル盤レコードが持つ表現力は圧倒的だ。多少のノイズや利便性の低さをものともしない、深い音楽愛を持つリスナーにこそ、このオリジナル盤の魅力を存分に味わってほしい。このレコードを聴くことで、あなたはニーナ・シモンの音楽が単なる音の羅列ではなく、生きている「感情」そのものであることを深く理解するはずだ。
一方、国内盤CDは、現代のリスニング環境において手軽に高音質を楽しめるという点で優れている。限りなく透明で、かつ情報量の豊富なそのサウンドは、これまでのデジタル音源では聴き取れなかったような、新たな発見をもたらすだろう。各楽器の定位が明確になり、音場に広がりと奥行きが生まれることで、モノラル録音でありながらも、より立体的な音楽体験が可能となる。現代のリスニング環境で、ノイズレスでクリアなサウンドを追求し、ニーナの演奏技術や歌声の微細な表現を余すところなく堪能したい人には、CDも良い選択肢となるだろう。しかし、オリジナル盤レコードが持つ「肌触りのような質感」や、音の「熱」のようなものは、デジタル化の過程でわずかに失われてしまうように感じるのだ。
最終的に、私の個人的な見解としては、ニーナ・シモンの『Little Girl Blue』というジャズ名盤が持つ、ブルース、ジャズ、そしてゴスペルが混然一体となった魂の音楽を最大限に味わうには、やはりUSオリジナル盤モノラル・レコードの「素朴な音質とアナログ盤ならではのリアリティ」が不可欠である。それは、まるでタイムカプセルを開き、半世紀以上前の録音現場に立ち会っているかのような、奇跡的な体験なのだ。この一枚を通して、ニーナ・シモンの不朽の芸術は、時代を超えて今もなお、私たちに力強く語りかけてくる。
この二つのフォーマットは、それぞれが異なるアプローチで、ニーナ・シモンの不朽の音楽を現代に伝えている。しかし、この作品においては、その歴史的背景と音楽的深みを鑑みると、オリジナル盤レコードが提供する体験こそが、真に求めていたものであると断言できる。聴き比べという行為自体が、音楽との向き合い方を豊かにしてくれることに、私は改めて感謝したい。
コメント